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日々雑感
2005/03/04

 ひさしぶりに書く。しかもうれしいこと。今日で高知女子大学池キャンパスでの集中講義が終わった。正直、集中講義というのはなかなか体力を使う。かなり消耗して、連日就寝はぐっすりだ。もちろん、教授者の方だけでなく受講生もであることは、自分の学生時代を振り返ってみても思うこと。それなりに工夫はしているつもりだが、なかなか学生たちも大変だろうと思う。だが、最終日の今日、講義終了後に受講生たちから「もっと早く受講しておきたかった」「社会学を勉強したくなった」などの掛け値のない声を聞けて、本当に教授者冥利に尽きる思いだった。もちろん、似たような声は今までも多くの場面で聞いてきたが、在高知での最後の講義ということもあってか感無量だった。ついでながら食堂の開いていないキャンパスで、連日昼食を運んできてくれた4年前の教え子(今は院生)にも感謝。
 今日はもうひとつうれしいことがあった。 ここに書くことはショックなことが多い。自分の気持ちが我慢できなくなるからか...。読まれる方には迷惑な話かもしれないが、悲しみを分かち合ってもらいたいのかもしれない。
 一昨日、衝撃的な事実を知らされた。その前にもうひとつあった衝撃的なニュースをみて友人が連絡してきたのが発端だった。
 一つの話題が終わり、「それで、小川君のことだけど...」といわれた時点で、なぜか脳裏にひらめいた。およそつながるはずのない点と点だったが、虫の知らせというやつか、閃くものがあった。高校の同級生、小川功太郎君の死であった。
2004/06/04
悼み、そして考える
 ここに書くことはショックなことが多い。自分の気持ちが我慢できなくなるからか...。読まれる方には迷惑な話かもしれないが、悲しみを分かち合ってもらいたいのかもしれない。
 一昨日、衝撃的な事実を知らされた。その前にもうひとつあった衝撃的なニュースをみて友人が連絡してきたのが発端だった。
 一つの話題が終わり、「それで、小川君のことだけど...」といわれた時点で、なぜか脳裏にひらめいた。およそつながるはずのない点と点だったが、虫の知らせというやつか、閃くものがあった。高校の同級生、小川功太郎君の死であった。「小川君」という名前がひっかかったのかもしれないが、自分のみの忙しさ、大変さに「またか」的にニュースを流し見ていた者として、そうしたものよりむしろある種のインスピレーションだったように思う。彼は遠い異境の地、イラクで凶弾に倒れた。
 高校時代、カラーなしの詰め襟学生服を着てひょろりとして、ひょうひょうとしていた彼の姿が思い出される。彼がどんなことをしていたのか、卒業以来連絡をとっていなかった身としては知るよしもないが、志あっての渡航であったことだろう。現に、新聞報道には、イラクのひとりの子どもを治療させる目的のために奔走していた彼の姿があった。
 わたしはいま、平和な日本にいて、椅子に座って安穏としている。だからえらそうなことをいっても説得力がないのは承知しているつもりだ。だが、わたしも自分のおかれている立場でその使命にむけ懸命に尽力しているつもりだ。それには基準がないので、十分か不十分かは神のみぞ知る、ということになるかもしれない。小川君も、少なくともひとりの子どもを助けるというミッションにむけて尽力していたことは確かだ。
 人間は欲求の固まりといわれる。心理学者のマレーは、パーソナリティを表すのに30をこえる欲求のリストを示し、その強弱をもってした。だが、欲望のままに生きるのではない、人間の人間たるゆえんがそこにあると思う。それぞれがそれぞれの立場の「使命」を自覚せずして、本当によい社会ができようか。特に、権力を持ちし、特権を有しし者たちはその責任を強く認識すべきである。
 自分も先生と呼ばれる身、そのことを意識してきたつもりだし、今後もしていきたい。だが、非力もまた罪か、と考えざるを得ない今日この頃だ。志半ばで倒れたであろう小川君の無念を思い、それに比べればまだまだ甘い自分の無念をかみしめる。
 もう二度と会えない小川君、安らかに。そして、私は、教育に携わる者としての決意を新たにする。
2004/01/13
「荒れる」成人式に思う
 本年も「荒れる」成人式の報道が相次いだ。情けないことだ。何が情けないかというと、決して荒れた若者たちばかりでなく、そんな報道自体だし、そんな成人式を「ほんとうにこまったもの」と若者の気質のせいにしている大人たちだ。
 成人式を「改善」するためにさまざまな取り組みがなされているという。しかし、結局、それらは何をもって「改善」といっているのか。「静かな」式の開催一点のように見受けられる。成人式の目的はそんなものでいいのか。粛々として大人が満足する成人式さえできればよいのか。なにも伝統的な形式を崩し、若者に迎合したものをせよというつもりはない。だが、今の騒動、立派な会場を構え、ご案内をし、完全なお客様気分で登場の若者たち。特段その意義は考えず、とにかく式を無事行なうことに懸命な大人たち。式の開催をノルマとしてこなす大人と、用意されて当然という何の意識も持たない若者たちの両者がおりなす結果といえるのではないか。「大人のエゴとそれに甘える若者たち」の構図がある限り、成人式の騒動は終わりを迎えることはないだろう。  

2002/06/29
やさしさの結晶
 今年は結婚式づいている。今年に入って3回目の結婚式出席だ。自分が望みもしない独身を続けているのに、だ(苦笑)。でも自分のゼミ出身でも学科出身でもない学生がわざわざ招待してくれるからには何をおいても馳せ参じたい。
 それにしても教え子の晴れ姿を見るのは感無量だ。自分の子どものことのような気がして、なんとも感動してしまう。
 さて、今回の挙式、ここに一回登場した人物のものだった。そう「やさしさ」の彼女。
 やさしさはやさしさを呼んだ。彼女のお相手は村の青年団の好漢。かつて本学の学園祭にもボランティアで手伝いに来てくれたこともある。多彩な活躍。式では村の幼稚園児のビデオレターが紹介されるほど。見るからにやさしそうな、人懐っこそうな笑顔。人前式でみせた二人のやさしい表情はなんともいえなかった。
 彼のことを個人的によく知っているわけではない。だが、彼は全国的に有名になった。それはあまりに悲しい出来事だった。抜けるような青空の、悲しいほどきれいな風景の南の島。そこで悲劇はひきおこされた。理不尽というほかない。医療の職にあり、人々のために汗した彼女が殺められなければならぬ理由はどこにもない。そしてその悲しみはのどかな村の家族を直撃した。
 私などにその悲しみがわかるはずもない。計り知れない。山口県の母子殺人事件では「犯人をこの手で殺してやりたい」と夫であり、父である遺族は涙して語った。彼らも涙したことだろう。だが、彼らは笑顔を忘れなかった。特集番組で見た紙飛行機を投げるときの笑顔、挙式の席での笑顔、二次会での笑顔。どれも人懐っこく、そしてやさしさのにじみ出た笑顔だった。そして笑顔そのままのやさしさがにじみ出ていた。悲しみがさらに彼をやさしくしたとしか思えない。そしてやさしさはやさしさを呼んで夫婦となったようだ。二次会など、誰のお祝いかわからない始末。新婚夫婦は、会場にあふれんばかりの出席者の間をそれぞれが挨拶して、気配りして回っていた。それがまったくいやみがない。杓子定規でもない。自然にみんなの間に入り、歓談し、酒を酌み交わし...。この夫婦はやさしさのかたまりだ。やさしさがやさしさを呼んだに違いない。そしてそのやさしさで人にやさしい無農薬イチゴ、「もんちゃんのイチゴ」を栽培する。楽しみだ。
 式の最後に二人のいままでをつづったビデオが流されたが、それを見るとなんだか涙が滲んできた。感無量だったのだ。でもそのビデオの最後にまた違った意味での涙を滲ませることとなった。どこかで見守って、そして誰より喜んでくれているであろう彼の妹の名前が。月並みだがきっと彼女の分まで、この夫婦は幸せになってくれることだろう。どうか見守っていてほしい。美季くんは十二分な人物だよ。そう祈らずにはいられなかった。悲しみはやさしさを強くし、やさしさはやさしさを呼んだ。そしてやさしさの二乗は大きなやさしさへと発展していってくれるだろう。慈愛に満ちた家庭で、たくさんのやさしさの二世たちを見ることができる日もそう遠くはないだろう。楽しみだ。おめでとう。
 いやあ、しかし、土佐の結婚式には脱帽だ。人の多さ、雑然さ。なにより酒量。酔っ払いだらけの酒宴には参る。そういう私の顔も赤鬼のごときだったことを指摘したのは元同僚の小学1年の娘さんだった。みんな育っていく。


2002/06/25
忌憚なき
 学生時代の同期の友人がこのエッセイを読んでいるという。正直、読者などいないであろうとたかをくくっていただけに、驚いたし、ちょっぴりうれしくもあった。
 彼は俊英だ。私の拙劣なる業績にもことごとく目を通しているとのこと。恥ずかしき限りだったが、訳あって未公刊ながら私の力の入った論文に賛辞をいただき、うれしき限りであった。
 言いたいことを言ってくれる。同業者たる彼の指摘はいちいち的確で率直で飾りなく、そしてなにより思いやりが感じられた。久しぶりに遅くまで酒を酌み交わし、大いに食し、語り合った。友とはよきものだ。
 このコーナーもまた、時折更新していかねばと想いを新たにした出来事だった。
 
 
 
 

2001/03/16
プロ
 卒業式の席上、来賓が「プロになれ」と挨拶をした。正直、これを聞く卒業生たちにどの程度受け止められたか、疑問ではある。本物の社会を経験していない、それでなくても高校の延長のような本学にあった彼女たちには実感が湧かないのが実情だろう。だが、この来賓の言葉こそ彼女たちにしっかりと胸に刻んでおいてもらいたいし、また、それ以上に現代の社会人たちにとって、そして本学の教職員たちにも受け止めてもらいたい言葉であった。
 目的意識を持って、ということが良くいわれる。何らかのタスクを成し遂げるとき、確固とした目的を持つことこそが、合理的であり、効果的であることは間違いない。目的を持つことはは課業達成の原動力ともいえる。送別の挨拶で「目的−発想を」と述べていた本学教員もいたが、この目的、それを持つということは意外に簡単なものだ。だが、ひとくちに「目的」と言っても、それには善し悪し・好悪もある。
 「仕事」というものに関して考えてみよう。仕事とは社会・組織にあってなすべきもの。「いい仕事」とは社会・組織にあって認められるべきものでなければならない。営利企業にあっては目的は明らかだ。利潤を追求すること、これが究極の目的だ。これ以外の、あるいはこれに反する「目的」に向かって「仕事」をしてもそれは「いい仕事」にはなりえないばかりか、「仕事」そのものの存立を危うくする。特に個人的情動や主観から目的を設定することは危険きわまりない。
 非営利組織だとこの危険性が一層増す。「利潤」というような明白な大「目的」がない以上、仕事の目的を見失うことがあるのはままあることになってしまう。教育機関においてもこの「危険性」から免れうることはできないようだ。教育機関の最大目的は「教育」であるはずだが、マーケティングや外部アピール、ことによっては自己保身や利潤追求といったことに走ってしまうものが少なくないことは本当に悲しくなってしまう。「私は学校のためにいやがられながらも生徒指導をしたのだ」と胸を張って述べる教師。憐憫の情さえ覚える。
 話を脇道から戻そう。要は目的を持ったとしてもだが、なにが目的かを取り違えてしまえば、その目的を持っていても意味がない。というより大目的に対して害を与えかねない。自分は社会・組織の中でどういった「役割」を担うべきか。それを理解することこそが重要なのだ。それはすなわち「プロ」になること。事務職であっても、営業職であっても、どんな呼び名の職であっても、自分の所属する組織にあって、自分のポジションで自分が振舞うべき役割があるはずだ。それを理解し、その役割を果たすよう邁進することこそが「プロ」である。スタンドプレーや越権行為などは一時的な結果がえられても、組織全体には悪影響を及ぼす。それはプロのやることではない。いまこそ、目的を違えない「プロ」が求められている。
 そしてプロは自分の仕事に誇りを持つ者でもある...。
2000/01/31
序にかえて
 本ゼミの論集もようやく2集目となった。今年は本当に読みごたえがある。指導教員としては喜ばしい限りであり、また、頭が下がる。もう一度じっくり読む時間を持ちたい。
 さて、現在、高等教育機関、すなわち大学、短期大学といったものが非常に厳しい状況に置かれていることは、少なからず知られていることであろう。この「厳しさ」、様々な側面があるが、そのひとつに入学者の質の低下による、高等教育機関自体の質の低下があげられる。本学においても例外ではない。
 だが、だからといって大学が小中学校や高校に内容を模様替えする必要はない。むしろ初等・中等教育機関とは異なるものを学習者に与えるものとならねばならない。「学力が低いから」とはよく使われる言葉だが、そんなものは問題ではない。だいたい、学力とはなにを指すのか。せいぜい中等教育までの「学校知」にすぎまい。それより問題なのは「学力が低い」という言葉のもと、すべてにおいて能力が低いとレッテルを貼りる教育者であり、また、自分はダメなんだと思いこむ学習者に他ならない。
 原稿用紙50枚以上ときいて「え〜」という言葉は必ず聞く。それはよしとしても「そんなのできるわけがない」とは聞き捨てならない。やれば誰だってできる。しないだけだ。そして、それに気づかないだけ…。だったら気づくまで待つしかない。「鳴かざれば鳴くまで待とうホトトギス」。これは教員側にとっては意外としんどい。
 指導をすること=教育すること、とは必ずしもいえない。指導をしないことがむしろ教育である場合もある。最近は何事にも早く、大きく「結果」を出すことが求められる社会である。教育においても例外でなく、ある一定の基準に照らして、その達成度により「よい、わるい」がいわれがちである。そのためには「きめ細かい」指導が行われ、その指導に沿った発達が求められるのである。それが指導する側にとっても楽なやり方でもある。だが、これが本当に教育といえるのか。学習者にとって本当に「よい」ものになるのだろうか。「試行錯誤」。学習にとってこんな大事なことはない。そのために「艱難辛苦」とまではいかずとも、ある程度のハードルを課し、それを越えるようにもがく者たちをじっと見守ってやることも必要ではなかろうか。細やかな指導も悪くはないが、教育とは、思い通りいかずとも手を出さず見守り続ける、ある種の忍耐も必要なものだ。
 なんだか言い訳めいた物言いになってしまった。いずれにせよ、今年のゼミ生たちも2年間という歳月を費やし、なにもしてやらない私の予想を大きく超える成果をまとめあげた。個人差はあるが、中には本格的な論文の形を整えつつあるものもある。大したものだ。彼女たち自身も、この分量、そしてこうした作業は未知の領域であったに違いない。全くの白紙状態からこれだけのものをつくりあげたのだ。必ずやこの体験は、彼女たちに自信を与えてくれることであろう。また、それが彼女たちの創造と挑戦の姿勢につながってくれること、そしてまた、短い学生生活における達成感、充足感の一助ともなることを願うものである。
 それにしても今年のゼミ生は色々とよくやってくれた。本当に感慨もひとしおである。最後になったが、至らぬことの多い若輩の指導教員に、時には従い、聞き、また時には意見してくれ、時にはともに楽しみ、土佐女子短期大学に充実した時の風を吹かせてくれたゼミ生の皆に感謝の意を表し、序に代えたい。

Congratulations!
  卒業おめでとう…。
(「土佐女子短期大学 伊藤ゼミ論集」第2集より)


1999/09/02
やさしさ
 現代は極端に言うと、情報化社会という名の下に消費社会、利己主義の蔓延する社会だ。若者たちは流行を追い求め、自己の欲求を満たすために行動する。悪いとかはかなむつもりはないが、短期間の教育ではいかんともしがたいことが多いことは事実である。
 ある学生の誕生日にあたり、その子の友人がお祝いを催した。贅をつくした、とはとても言い難いが、彼女にしては精一杯のことだったろう。花束にケーキに、とひとりで用意してきた。祝われた本人は「こんなことは、生まれてはじめて!」と感激していた。
 彼女たち、学生たちの部屋にみんなが使いやすいように、いろいろものをそろえたり、片づけたり、ということをいつもしている。少なからず自分たちの懐をいためながら、のようである。そんなやさしい気持ちの芽が見られることは私としてもうれしい限りであり、こんな芽を伸ばすことができるようサポートしてやることがわれわれの務めのはずだと思う。そしてそんな彼女たちに、周りで芽を持つ子たちも発芽しつつある。「ありがとう」彼女たちの行動に謝し、自分たちもなにかせねば、という気持ちの発露。いいものだなぁ、と思う。
 社会がみな、こうした気持ちの集まりであれば、とは理想論だろうか。
 家庭の状況を考え、県外への進学をあきらめる。可哀想だと思われるかもしれないが、この「考え」ということは人間として大切なものではないだろうか。好きなことをすることがいいことだという価値観が強すぎて、やさしさ受難の時代になっているのではないか。ひとはひとりでは生きられないのに。
 それにしても学生から学ぶ。先生なんて、本当に読んで字の如し、先に生まれただけなんだなぁ、と感じる今日この頃である。

1999/08/30
追 悼
 数日前に味わった衝撃を未だに忘れることができない。不思議な縁で同僚よりもたらされたあまりに意外で、そして突然の知らせ。後輩の若すぎる死の知らせだった。それは、彼女の追悼文集という形でやってきた。彼女のフィアンセ(これも私の後輩)らにより編まれた、非常に立派な、分厚い単行本だった。それが来たこと自体因縁めいたものを感じた。
 遅く短い夏休み、その本に目を通す時間を持った。彼女と彼の人柄は直接接していて十分わかっているつもりだったが、その感覚以上のすばらしい現実に触れ、落涙を禁じ得なかった。「人」への感謝の気持ち、子どもたちへの真摯なまなざし。これからの教育を担っていくべきであるといえる人材だった。なぜ、これだけの追悼文集ができたか、答えは明らかである。上っ面ばかりとらえ、また責任を回避しあい、自己の立場を擁護するべくなされるような教育論争がすべてかすんでしまう。教員生活はごくわずかだったけれども、その間に教育とは、教育にあたる者がすべきものとは、ということを彼女は体現してくれたといえよう。願わくは彼女の教育がなるべく多くの人に記憶されんことである。
 二ヶ月後に挙式予定だったそうだ。学生の時分からつきあっていたくせに、といってやりたいくらいだ。だが、それも彼、彼女双方の教育に向けた熱意のせいで遅れていたのだろう。残された彼(彼女に負けず劣らず今の時代には珍しいくらいの好青年)が、彼女の分も活躍されんことを祈りたい。
 もう、あの人なつっこい笑顔は見ることができない。信じられない話だが...。
 杉森千佐子女史のご冥福を祈り、合掌。

1999/03/18
序にかえて
 短期大学という機関は、学校教育階梯にあって極めて曖昧な位置にあるといわざるをえない。教育段階としては高等教育に位置づけられながら、その実、中等教育機関的、あるいは専修学校的教育を志向する機関がきわめて多い。2年制であるという時間的制約の厳しさもあろうが、四年制大学には一般的な「卒業論文」が多くの短大で存在しないのには、少なからずこの、短期大学の曖昧さが影響している。 現在の初等及び中等教育機関における学習形態は「習得型」といえよう。教えられたことを身につける、覚えるといった形である。これはこれで教育の形として必要不可欠なものであり、特に幼少期という時期的なもの、また効率的な教育ということを考えるといっそうその重要性が意識されるものである。だが、「学習」といった場合、「習得型」のみではない。私は時折、いまだに中等教育的感覚から抜け出せないでいる学生たちに「君たちは卒業すると、もう"先生"はいないんだよ」と言う。「習得型」の時には学習者からするとうるさいと感じることも多かろうが、逆にそれは庇護され、手をかけられていることを意味する。社会に出るとそうはいかない。自ら問題にあたり、見いだし、解決し、表現し…といった「克服型」、「問題解決型」とでも呼ぶべき学習形態が中心となる。高等教育機関に在籍するということは、まさにそのためのトレーニングを行うということである。外的圧力による可塑性がもはや少なくなった青年期、自分をより高めていくには、自分の中から圧力をかけるしかない。逆にいうと、いくら指導を受けても、講義を受けても、学習する側に学習する意志がなければ真に身に付くことはない。講義の内容は右から左へ、なんて経験をなさった方も多かろう。
 前置きが長くなった。「卒業論文」というものはこうした高等教育の学習形態に最適の課題といえる。自らテーマを設定し、探求し、調査し、表現する。これは実は、社会のありとあらゆる場面で必要とされる力なのである。それを教員というヘルパー付きで練習できる絶好の機会であるべきものなのだ。
 残念ながら本学にも「卒業論文」は制度化されていない。せめてもの気持ちで私のゼミでは卒業レポートを課した。実は卒業論文、指導側にとってもその力量が大いに試されるものである。単に、命令的な指導では卒業論文の意味がないし、それに、テーマも十人十色である。正直、提出されたレポートは「論文」というにはほど遠い。入り口だけの者もおれば、逆に自分の主観だけの者もいる。だが、これにはそこまで彼女たちを支援しきれなかった指導者のつたなさが大いに関係しているのだということをご了解いただきたい。それよりも当初、「え〜っ、原稿用紙50枚以上!?そんなん無理」と文章嫌いの現代若者の典型的反応を示していた彼女たちが、軒並み課題枚数を大幅に越える原稿を仕上げたという事実、そして少しでも論文形式模倣の努力の形跡が見られることを評価していただきたい。
 この体験が彼女たちのこれからの生活における自信と自己推進の姿勢を培い、そしてまた短い学生生活における達成感、充足感を残してくれることを願い、序に代えたい。
(「土佐女子短期大学 伊藤ゼミ論集」第1集より)